2011年 11月 28日
白い山茶花 |
ときどき覗く 清水哲男の「増殖する俳句歳時記」より
平井照敏
ふと咲けば山茶花の散りはじめかな
まことに句の言う通りであって、山茶花ほどにせわしない花はない。「ふと」咲いたかと思うと、すぐに散りはじめる。散ったかと思う暇もなく、すぐに次々と咲きはじめる。したがって、いつも咲いているが、いつも散っている。桜花のように、散るのを惜しまれる花ではなくて、散るのをむしろアキレられる花だと言ってもよいだろう。古来、この花についてだけは、異常なほどに散る様子を詠んだ句が多いのもうなずける。作者の編纂した『新歳時記』(河出文庫・1989)にも、たとえば寒川鼠骨の「無始無終山茶花たゞに開落す」というせわしなさの極地のような句があげられており、他にも「山茶花の散るにまかせて晴れ渡り」(永井龍男)が載っている。我が家の庭にもコイツが一本あって、この時間にもしきりに咲き、しきりに散っているはずだ。散り敷かれた淡紅色のはなびらのおかげで、庭はにぎやかなこと限りなし。どこにでもあるさりげない存在の植物ながら、この時季の賑やかな山茶花には、毎年大いに楽しませてもらっている。「俳句文芸」(1998年11月号)所載。(清水哲男)
紅い山茶花とちがって白い山茶花にはそれほどのせわしなさ感やにぎやか感はありませんね。
むしろ無口な感じもします。
こんな句もあります
山茶花や無口の人とゐて無口 ( 土肥あき子)
11月 ちょっと疲れ気味 12月は無口でいきましょうか、、、
平井照敏
ふと咲けば山茶花の散りはじめかな
まことに句の言う通りであって、山茶花ほどにせわしない花はない。「ふと」咲いたかと思うと、すぐに散りはじめる。散ったかと思う暇もなく、すぐに次々と咲きはじめる。したがって、いつも咲いているが、いつも散っている。桜花のように、散るのを惜しまれる花ではなくて、散るのをむしろアキレられる花だと言ってもよいだろう。古来、この花についてだけは、異常なほどに散る様子を詠んだ句が多いのもうなずける。作者の編纂した『新歳時記』(河出文庫・1989)にも、たとえば寒川鼠骨の「無始無終山茶花たゞに開落す」というせわしなさの極地のような句があげられており、他にも「山茶花の散るにまかせて晴れ渡り」(永井龍男)が載っている。我が家の庭にもコイツが一本あって、この時間にもしきりに咲き、しきりに散っているはずだ。散り敷かれた淡紅色のはなびらのおかげで、庭はにぎやかなこと限りなし。どこにでもあるさりげない存在の植物ながら、この時季の賑やかな山茶花には、毎年大いに楽しませてもらっている。「俳句文芸」(1998年11月号)所載。(清水哲男)
紅い山茶花とちがって白い山茶花にはそれほどのせわしなさ感やにぎやか感はありませんね。
むしろ無口な感じもします。
こんな句もあります
山茶花や無口の人とゐて無口 ( 土肥あき子)
11月 ちょっと疲れ気味 12月は無口でいきましょうか、、、
by machiko11m
| 2011-11-28 02:17
| 山野草 茶花
|
Comments(1)
Commented
by
サギソウ
at 2011-11-28 15:47
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茶花と書かれれば茶の花を思い出します。子供のころ茶摘みをしたことがあり、茶の木に咲く花がとても可愛く綺麗です。ここに写真が出せるといいのですが、残念。
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